文化財

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十一面観音立像
(じゅういちめんかんのんりゅうぞう)
Statue of Eleven-Faced Kannon

  • 千葉県指定有形文化財
  • おすすめ
奥ノ院ご本尊
榧材の寄木造り、頭部は一材で造り、両耳前で前後に割矧ぎ、内刳り、首柄を三道下で体部に差し込む。体幹部は前後二材矧ぎ、内刳り。左右共第一・二手の上膊(じょうはく)を共木で造って型で矧付ける。別材矧付けの頭上面、四臂の前膊は後補である。表面は髪、眉、ヒゲが墨、唇朱彩とする他は素地仕上げで、檀像を意識したものであろう。面部は引き締まった肉どりのうちにも柔らかい親しみやすい風貌をしている。衣のヘリにはフジ雑な折り返しを変化に富んだ曲線で作っている。
  • 鎌倉時代中期
    像高 110.3㎝

観音菩薩像 頭部
(かんのんぼさつぞうとうぶ)
Kannon's head

  • いすみ市指定有形文化財
  • おすすめ
秘仏本尊の当初の面部である。頭上面は目鼻を省略する。目の付け根は不揃いで、耳は前方に向き、小鼻を表さず、口をやや尖らせるなど、仏像の頭部としては原始的な造形を示している。頭だけの不思議は姿から、源平合戦で討たれた上総七郎景清と結びつけられ、「景清御身代観音」とも呼ばれている。
  • 平安時代
    像高 30.8㎝

観音像両腕
(かんのんぞうりょううで)
Kannon's arms

文化財には登録されていないが、観音像頭部とともに保存されている2本の腕である。右手は当初、左手は後補かと思われる。肩内側に二つ柄穴を持つ右手は前出、一つ穴の左手は垂下していたものと思われる。現在の観音菩薩立像にも当初と思われる両腕があり、この両腕は当初どの像に付随したものか不明である。
  • 右手 73.8㎝ 左手 75.2㎝

千手観世音菩薩立像
(せんじゅかんぜおんぼさつりゅうぞう)
Thousand-armed Kannon

  • いすみ市指定有形文化財
  • おすすめ
秘仏本尊の前立像として安置される。頭体幹部を榧(かや)の堅一材から彫成する。一尺五寸の小像ながら頭体のバランスが良く、引き締まった秀麗な面貌は、鎌倉時代の仏像の特色を顕著にあらわす。解体修理の際に納入品が発見され、清水寺二十三代住職、高典の発願によって正徳元年(1711)に修理されたことが明らかになった。
  • 鎌倉時代後期/13世紀後半
    像高 47.0㎝

芭蕉の句碑(ばしょうのくひ) 
Basho haiku monument

  • いすみ市指定有形文化財
  • おすすめ
文政9年(1826)10月15日の芭蕉翁133回の遠忌を記念し行川村(現いすみ市行川)の俳人里丸翁が発願人として建立した。

【木枯らしに 岩吹き尖る 杉間哉】
これは芭蕉翁が三州(愛知県)で詠める名句である。

二十八部衆立像
(にじゅうはちぶしゅうりゅうぞう) 
Twenty-Eight Attendants

  • いすみ市指定有形文化財
  • おすすめ
体幹部を榧材の堅一材で彫成し、内刳りは施さないとされている。挿首し、肩先、手先、足先など適宣別材で彫成して矧付けている。二十八体中、二四体が遺存する。二十八部衆が千手観音の眷属であることは言うまでもないが、その個々の名称や像容については異同が多く判然しない。当像群は小像ながら力感溢れた肉身表現が見事である。作風から写実身が豊かで鎌倉時代風が顕著である。13世紀後半頃の政策と考えられるとすれば、関東における二十八部衆の最古級の遺存例として評価されるべきであり、さらに京都妙法寺院像の早い時期の模倣作例としても注目に値する。
  • 鎌倉時代
    像高 35.5〜42.9㎝

二十八部衆立像

01

東方天

髻(もとどり)を結い革鎧を着用する武人天部像で、開口威怒相。右手は振り上げ拳とし、左手は腰に置く。四天王中の持国天である。妙法院像(以下妙)13と像容が酷似する。
像高41.0㎝ 墨書銘なし

02

乾闥婆王(けんだつばおう)

髻を結い、脇髪を炎髪とする。割目、閉口の威怒相。上半身裸、下半身腰裳の鬼神形で両手とも胸高に挙げて左手で宝珠を執る。バランスの取れた肉身表現が素晴らしい。妙法院像6乾闥婆王と像容が酷似する。
像高42.5㎝ 磐座 墨書銘無し

03

那羅延堅固王
(ならえんけんごおう)

善を結い、割目、開口の威怒相。上半身裸形、下半身腰裳、天衣着用の力士形。左手を肩高に挙げて拳とし、右手は振り下げて平手とする。腰を左に捻って立つ。 仁王像の阿形である。背面まで手を抜かない力作。妙1那羅延堅固王像と酷似。
像高35.5㎝ 墨書銘無し

04

難陀龍王(なんだりゅうおう)

善を結い、顎髭を蓄える寂相、革鎧を着用する武人天部像だが、上半身をやや右に傾けて、四脚の龍を持つ。左手は腰高で龍の尻尾を執り、右手は胸高に前出して龍の足を受ける。龍は右肩を通って背面に回り、頭上に上半身を現す。情け無気な表情が楽しい。本来はコブラが龍神化されたもので、八大龍王の第一とされる。妙19難陀龍王に酷似。

像高42.9cm
磐座 墨書銘有り



05

婆薮仙人(ばすせんにん)

頭巾を被り、顎髭を蓄える老人相。口は半開きとして歯を覗かせる。上半身は裸形で条帛を掛け回し、下半身には腰裳と獣皮を着用する。背を曲げて、左手に杖、右手に書巻を持って立つ。功徳天と共に胎蔵界曼荼羅以来の千手観音の眷属である。 妙20婆薮仙人に酷似。

像高38.4cm
磐座 墨書銘有り

06

功徳天

善を結う寂静相、衣服は天女形。左手胸高で持物(薬壼)を執り、左手は胸高で軽く握り、第二・五指を伸ばす。沓を履いて直立する。一般には吉祥天とも呼ばれる。5の婆薮仙人と同じく胎蔵界曼奈羅以来の眷属である。手先・持物は後補。 妙2の功徳天と酷似

像高41・0cm
円形台座墨書銘有り



07

摩和羅女(まわらにょ)

長髪の老女相。上半身は下衣と大袖の蓋衣を着け、腰帯を締める。合掌する。下半身には腰裳を着用。沓を履いて直立する。やや男性的な面貌である。妙18の摩和羅女と酷似。

像高38・5cm
円形台座 墨書銘無し

08

多聞天

善を結い、革鎧を着用する武人天部形。口は半開きとしてわずかに歯を覗かせる。左手肩高に宝塔を掲げ、右手は腹高で持物(戦)を執る。沓を履き、腰を左に捻って立つ。単独では毘沙門天と呼ばれる。妙16毘沙門天と酷似。

像高40・3cm
磐座 墨書銘有り

09

阿修羅王

炎髪、三面(一面三日)、割目威怒相(中・右面開口、左面閉口)の鬼神形で上半身裸形に条帛を着用。手は六臂で、左右第一手合掌。左第二手は頭高で持物(日輪)を執る。右第二手は同じく頭高に挙げて持物(月輪)を執る。左右第三手は腹高でそれぞれ弓・矢を執る。下半身は腰裳・腰布を着用。裸足で直立する。腕持物は後補だが面部は当初の彫法が窺える。妙23阿修羅王と酷似

像高42・5cm
磐座墨書銘有り

10

沙迎羅龍王(しゃがら)

善を結う、頭上に五蛇を現す。眉根を寄せる威怒相、閉口。革鎧を着用する武人天部像で左手は胸高で持物(書巻カ)を執り、右手は腰高に前出して蛇を執る。沓を履いて腰をやや右に捻って立つ。妙8沙迦羅龍王に似るが持物(後補)を異にする。
像高41・2cm 磐座墨書銘有り

11

摩醯首羅王(まけいしゅら)

炎髪、割目、歯牙を露出する極憤怒相。上半身裸形、左手は胸高に挙げて持物の鳥杖を執り、右手も胸高に挙げて軽く握る。杖上には下半身腰裳だけを着用する鬼神形。腰をやや左に捻り、素足で台座上に立つ。ヒンズ1教三大神の一つで破壊を司るシヴァ神、大自在天とも呼ばれる。妙21の摩艦首羅王と酷似

像高42.8cm 磐座 墨書銘無し

12

毘婆迎羅王(ひばから)

炎髪、眉根を寄せて割目、閉口の威怒相。革鎧着用の武人天部像で、両手を前面腰高で組み、右手で三鈷剣を地に向けて持ち、を履いて腰をやや左に捻って台座上に立つ。十二神将では「毘羅」と呼ばれる。 現状の像容は妙22毘婆迦羅王と異なる部分もあるが、持物や下腕部は後補である。現状の服飾・手勢は妙11五部浄に酷似している

像高41・5cm 磐座 墨書銘無し

13

迦楼羅王(かるら)

宝善を結う、口の代わりに嘴を持つ。革鎧を着用する武人天部像だが、背中に二枚の翼を持つ。両手で横笛を持ち、これを奏する姿で、腰を右に捻り、沓を履き、左足先を拍子を取るように少し上げて磐座上に立つ。妙17迦楼羅王と像容は一致するが、腰の捻りが左右逆である。当像は炎髪も現さない。
像高39・8cm 磐座 黒書銘無し

14

増長天

宝善を結う、眉根を寄せて割目、閉口する威怒相。革鎧を着用する武人天部像で、左手は肩高に挙げて書巻を執り、右手は拳にして腰に置く。沓を履き腰をやや右に捻って台座上に立つ。妙14は毘燃戦叉と燃名で呼ばれる。左手に書巻を執るが通常は広目天の持物である。なお、当像の持物は後補である。あるいは他像と混同があるか。
像高41・0cm磐座墨書銘無し

15

神母王(じんも)

宝島を結い、頂上に獣頭(馬頭)を頂く。宝冠を被る。眉を逆八字に吊り上げ、割目、開口する憤怒相。上半身に蓋襠衣、下半身に長い腰裳を着用する貴顕天部像で、両手は前面胸高で掌を叩くようにする。沓を履いて台座上に直立する。別名は「動梨常母」いわゆる「鬼子母神」のことである。妙12神母王では胸前でを合わせる。彼像は眉根は寄せるものの、憤怒相は取らない。像高41・2cm 円形台座 墨書銘無し

16

帝釈天

宝善を結い、宝冠を着用する寂静相の貴顕天部像。大衣の下に革鎧を覗かせる。左手は腰高で金剛杵を執り、右手は鳩尾の高さで杯を執る。を履き台座上に直立する。ヴェーダの最高の英雄神で、仏教でも梵天と共に最も格の高い守護神とされる。 妙24の帝釈天像と類似するが持物は異なる。
像高41.5cm円形台座 墨書銘無し

17

満仙王(まんぜん)

宝善を結い、眉を逆八字に吊り上げ、割目、閉口する憤怒相。革鎧を着用する武人天部形で、左手は腰高で宝棒を執り、右手は拳にして胸高に挙げる。右に腰を捻りを履き、台座上に立つ。夜叉神だが経典に典拠は無い。19の「満善車王」と同一とも考えられる。妙26満仙人像は左手に三叉戦、右手に独鈷を執り、炎髪で現わされる。
像高37・8cm 磐座 墨書銘無し

18

五部浄居天(ごぶじょうご)

象冠を被り、眉根を寄せ、割目、開口する憤怒相。革鎧を着用する武人天部形で、左手は胸高に挙げて人差し指、小指を立てる。右手は振り下げて拳にする。杏を履き、腰をやや右に捻って台座上に立つ。『千手陀羅尼経』では地界を支配する閻魔に対し、天界を支配する神将とされる。妙11の五部浄像は象冠は被らず腹前で両手を組み、右手で剣を持つ姿に現され、当像の12毘婆迦羅像に相似する。五部海居天が象冠を着用する図像は他例があり、あるいは妙法院像が尊名を誤っているか。
像高39・00m 磐座墨書銘無し

19

満善車王

総炎髪、割目、上歯牙を現す極憤怒相。革鎧を着用する武人天部形。左手は腰に置き、右手は胸高に木槌を振り上げる。腰を左に捻り、右足をやや後ろに引いて半身となり、沓を履いて台座上に立つ。『千手陀羅尼経』に出る「満善・車鉢・真陀羅」という三夜叉を一神と誤ったものとされる。妙7の満善車王は大略同じ像容で左手に蛇を執る。
像高41・5cm 磐座 墨書銘無し

20

散脂大将(さんじだいしょう)

宝善を結う、面部は外皮を破り、内側から新たな顔が現れる。眉を寄せ、割目、叫ぶように開口する。革鎧を着用する武人天部形で、左手は腹前で宝棒を執り、右手は頭上に振り上げて独鈷杵を執る。腰を右に捻り、を履いて台座上に立つ。 二十八部夜叉の首領として『金光明経』など経典にも登場する。妙25散脂大将と大略像容が一致するが、妙法院像が三目であることや、持物にやや異なりがある。
像高42.7cm
磐座墨晝銘無し

21

金比羅王(こんぴら)

甲を着用し、割目上歯牙を露出する威怒相。革鎧を着用する武人天部形で、両手に弓矢を持ち、腹前でこれを番える勢いとする。腰を右に捻り、やや腰を引きながら、杏を履いて台座上に立つ。 十二神将像としてクビラは「宮毘羅」と呼ばれる。ガンジス河のワニが水神化されたものである。像容は妙10金毘羅王と大略一致する。像高40・0cm 磐座 墨書銘無し

22

梵天

宝善を結い、宝冠を着用する。面貌は寂静相で、大衣の上から蓋襠衣を着用する貴顕天部形である。両手を腹前に出し如意を執る。沓を履いて台座上に立つ。 バラモン教の最高神で、宇宙の創造主とされる。仏教では帝釈天と共に護法神中最高の存在とされる。妙5の熱天は大略同じ像容で左手に蓋付の碗を持つ。
像高41・3cm磐座円形台座墨書銘有り

23

毘楼博叉(びろばくしゃ)

広目天の名である。甲を着用し、割目、開口の憤怒相。革鎧を着用する武人天部形。左手を振り上げて持物(戦)を執り、右手は腹前に振り出す。腰を右に捻り、左足をやや上げ、沓を履いて台座上に立つ。 妙15の毘楼博叉と像容が一致する。
像高40・5cm 磐座 墨書銘有り

24

摩羅王(まこら)

炎髪、眉根を寄せ、割目、開口。上半身裸形、下半身に腰裳のみを着用する鬼神形で、両手で琵琶を執り、これを奏でる勢いとする。腰をやや右に捻り、裸足で台座上に立つ。梵名のマホーラガは「大蛇」を意味する。熱帯雨林に棲むニシキヘビの神格化されたものである。緊那羅と共に帝釈天に仕える音楽神とされる。妙27摩睺羅王は五目で頭上に蛇を絡ませる。
像高41・5cm 磐座 墨書銘無し

03

小見出し

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その他

音羽山略縁記(おとわさんりゃくえんぎ)
Engi of Kiyomizu temple

紙本 冊子装 墨書明応五年(一四九六)
長運著 寛政二年(一七九〇)写

清水寺に所蔵される古縁起。本尊の開帳の際、清水寺 14代住職長運によって記されたものを、寛政2年に鴨根村村長 石野平治左衛門が筆写したと考えられる。円仁が伝教大師が彫刻した十一面観音像を請来し、また千手観音像を彫刻したとする記述は、清水寺の歴史や本尊について考えるにあたり誠に興味深い。

略縁記
音和山清水寺ハ往昔山ノ主ハ熊野大権現
ナリ人皇五十代桓武帝ノ御宇延暦年中
二條右大臣坂上田村丸東夷征伐ノ日観音薩
埵二誓願アリケルハ東夷退散ノ擁護垂レ玉
口東 ノ地ニー字ヲ建立シ薩ノ霊像ヲ安置ス
ヘシト云云

  • 室町時代/明応5年(1496)

古位牌(こいはい)Old Ancestral tablet

木製 墨書
奥ノ院脇陣に安置される木製の大型位牌。天正16年(1588)の2名と、元禄12年(1699)~天保2年(1831)の出家者、在家者の法名が記される。当位牌は戦国時代より清水寺の大越であった大曽根家のものである可能性が高い。出家者の名が記される理由は一族の子弟を入寺させていたためと推測される。清水寺の寺史や当地域の歴史を知るにあたって重要な資料である。

  • 江戸時代

仮堂建立棟札(かりどうこんりゅうむなふだ)
Memorial Tag of Temporary Main Hall

木製(杉材駒形札)墨書全高93.1cm
最小幅23・0cm 厚さ1・2cm 最大幅24.5㎝

文化 10年(1813)11月21日、清水寺は大火により仕王門を除いて諸堂を失った。仮堂は翌11年4月に建立、四臂十一面観音像を安置する奥院堂に改築され今日に至る。地頭阿部兵庫正良、代官大曽根岡右衛門大信をはじめ、鴨根村の有力者の名が記される。大工棟梁として浅野儀左衛門の名が見える。

  • 江戸時代/文化 11年(1814)

本堂建立棟札(ほんどうこんりゅうむなふだ)
Memorial Tag of Main Hal

文化10年(1813)11 月の大火により焼失した本堂が再建された際の棟札。本堂再建には約4年の歳月を要した。坂東札所三十二番にあたる寺院の本堂であるだけに、規模、意匠ともに相応なものが求められたのだろう。大規模な火災の後、数年で寺観を整えた清水寺の勢力は驚嘆すべきである。

  • 江戸時代/文化 14年(1817)
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地図

住所

〒299-4624
千葉県いすみ市岬町鴨根1270

JR利用の場合

外房線長者町駅下車4km徒歩50分(バスなし)
タクシー7分

*タクシーは不定休ですので、下記電話までお問い合わせください。
0470-87-2339 東洋交通

お車利用の場合

国道128号線「岬町江場土」の号を西へ約5km 約10分国道465号線「国府台三差路」の信号を東へ約4km 約10分
圏央道「市原鶴舞」インターから35分

駐車場

普通車・マイクロバスは山の上の駐車場まで入れます大型車は山の下、参道入口に駐車場があります(すべて無料)

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